__ Apollo Program Prologue _blank __

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アポロ計画は1960年にその構想が芽生え、翌年5月のケネディ大統領の演説※ 及び議会の承認によって大々的にスタートを切る。 当初約束されていた予算は総額200億ドル。 この時代の、この国の視線は、常に月に注がれていた。

この壮大なプログラムは、しかし、その下準備にこそ意義があった。 有人の月面着陸 という新しい概念の下で サターンロケット各モジュール の開発を進め、マーキュリーとジェミニで有人飛行の実績を積み、レンジャー、サーベイヤー、ルナ・オービターによる綿密な月面探査でランディング地点を決定したのである。

1972年12月、アポロ計画は膨大な予算を消費し尽くして17号で事実上終了する。※ マスタープラン上にあった18号、19号、20号はあっさりとキャンセルされていたのだ。

アポロ計画については、宇宙開発史上最大の浪費であるとの酷評も少なくないが、はたして当時の一流国家が対抗意識あるいはプロパガンダ目的で このような国家的プロジェクトを実行するだろうか。 予算に見合うだけの目的があったとみるのが自然ではないのか。 それら目的が達成されて後のミッションが不要になったと。

その後の有人飛行は地球周回軌道上にとどまっている。 あの時代に有人飛行で月に行く必要性が一体どこにあったのだろう。 その内容が国家機密に属するならば、残念ながら、それを知る手立てはない。

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※ ケネディ大統領が1961年5月25日に行った演説 。特に有名な一節が 「I believe that this nation should commit itself to achieving the goal, before this decade is out, of landing a man on the moon and returning him safely to the earth.」 つまり、 「私は、この国が、1960年代のうちに人間を月に着陸させて地球に無事帰還させる (という目標を達成する) ことを言明すべきであると信ずる。」 となる。

※ 筆者は アポロ・ソユーズ/Apollo-Soyuz をアポロ計画に含めない。 有人月探査ミッションを含まないプログラムは、その名称の如何にかかわらず本来のアポロ計画とは切り離して考えるべきだと解するからだ。



End of Apollo program prologue _blank

__ Reference
National Aeronautics and Space Administration (NASA)
Kennedy Space Center (KSC)
Jet Propulsion Laboratory (JPL)
Goddard Space Flight Center (GSFC)
Johnson Space Center JSC Home Page (JSC)
National Space Science Data Center (NSSDC)
American Astronomical Society (AAS)
CHECKOUT and LAUNCH CONTROL SYSTEM PROJECT (CLCS)
_ Writer
masaakix yokohama japan
E-Mail
admin@masaakix.interlink.or.jp
Web site
http://www.masaakix.interlink.or.jp/

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