アポロ計画がスタートした1960年代のあの当時、旧ソ連(CCCP)もまた、同時進行の形で、有人飛行による月探査計画を目論んでいた。 同国のルナ計画やゾンド計画がアポロ計画の 「影の牽引車」 になっていたのは疑う余地の無い事実なのである。
当時の米ソ月着陸船のランディングサイト (軟着陸及び硬着陸=激突したサイト) に注目してみても、双方の月着陸船が集中しているサイトがあるかと思えば、まるで 「役割を分担」 したかのように行儀良く分散しているエリアもあって、興味が尽きない。
アポロ計画が本来のミッション (〜17号) を終えたその後、米国と旧ソ連はアポロ・ソユーズ (Apollo-Soyuz) の名のもとに宇宙開発の連携を強化し、マスメディアは 「まさに宇宙開発は競争の時代から協力の時代へ移った」 とこぞって伝えたが、なんのことはない、この 「宇宙開発は協力の時代へ」 は 「米ソ冷戦」 という概念を隠れ蓑にして1960年代初頭から始まっていたのである。
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