__ | N-1 Rocket /SL-15 ...Moon Rocket | __ |
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ステージ構成をみてみると(1969年2月21日打ち上げ時)、一段目(Block A)が NK-15 engine(Thrust:約171トン) x30 = Thrust:約5130トン、二段目(Block B)は NK-15V engine(Thrust:約179トン) x8 = Thrust:約1432トン、三段目(Block V)が 11D54 engine(Thrust:約164トン) x4、四段目(Block G)は NK-19 engine(Thrust:約4.5トン) x1、そして五段目(Block D)は RD-58 engine(Thrust:約8.5トン) x1 となっている。推進剤は、全段とも液体酸素 LOX/Liquid Oxygen)とケロシン(Kerosene) を使用し、離陸時の推力は約4400トンである。全長約105mで、直径は約17m、重量が約2735トン。なお、ペイロードは約70トンである。 これだけの数のエンジンを制御するのは無理だろう。特に第一段目の「30」は尋常ではなく、打ち上げの失敗が初期のステージに集中しているのも当然である。N-1はロケット版バベルの塔といえる。 旧ソ連(CCCP) の有人月面着陸計画については西側でも様々な「憶測」が飛び交っていたが、実際のところは技術的にも体制的にもアンバランスで、アポロ8号(有人月周回飛行)に先を越された「あせり」と、妙な「覇権争い」のみが際立っていたようである。 それにしても米国は良きロケットを得たものだ。もしもサターン・ロケット(I /IB/V)の開発に失敗していたら、おそらく、有人月周回飛行(アポロ8号)、有人月面着陸(アポロ11号以降)はなかっただろう。 ----- ※ 上述のように N-1 ロケットの開発自体は散々なものだったが、一方、有人月着陸の「実地訓練」は、シミュレーションを含めかなりのレベルにまで達しつつあったようだ。ちなみに、人類で初めて月面に第一歩をしるすはずだったコスモノートの名はアレクセイエフ・レオノフ(Alexei A. Leonov)である。 |
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