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SATURN 01-10 AS 201 202 203 APOLLO 01 04 05 06 07 08 09 10 11 12 13 14 15 16 17
Summary Cameras Long-distance Lunar Surface Landing site Lunar Samples Science Experiment
Mission type Launch Launch vehicle Payload (Spacecraft) Mission Commander Command module pilot Lunar module pilot Earth Orbit Translunar injection CSM-LM docking Lunar Orbit insertion CSM-LM separation LM's crews Lunar Landing site Lunar Landing Time Begin EVA First step on surface Lunar surface EVA Lunar surface stay time Lunar samples Lunar liftoff LM-CSM docking LM Jettisoned LM Impact moon Lunar Orbit Lunar Orbits Transearth injection Duration Earth Splashdown Depository |
1969年7月16日午前8時32分 (EST)、ケープケネディ Complex Pad 39 A。なんの遅延もなく予定通り打ち上げられたアポロ11号は、まれにみる歴史的な旅を始めた。人類が地球以外の天体に初めて降り立つ日がやってきたのだ。ケネディ大統領が約束したタイムリミット(「1960年代が終わらないうちに(*1) 」)も間近に迫っている。 クルーは船長のニール・アームストロング、司令船パイロットのマイケル・コリンズ、そして月着陸船パイロットのエドウィン(バズ)・オルドリンである。 「歴史的な旅」 に相応しいバックアップ・クルーにふれておくと、バックアップ船長のジム・ラベル、バックアップ司令船パイロットのウィリアム(ビル)・アンダーソン、バックアップ月着陸船パイロットのフレッド・ヘイズとなっており、アポロ8号、11号、13号の屋台骨が「彼ら」によって支えられていた 「偶然」 に驚くのである。 思い起こせば、ここまでの道のりは失敗と試練の連続だった。なかでも AS-204(「便宜的に」アポロ1号 と呼ばれる) の死亡事故は、アポロ計画の存続に関わる出来事として暗い影を落とし続けた。技術的な問題なら理詰めで解決できるだろう。しかし、心の中に巣くう「弱気」に対しては アポロ7号 のようなカンフル剤が必要だったのである。 LM の開発は更に深刻さを増していたが、一方、有人月着陸 (G-Mission)を見据えた訓練は、アポロ8号(有人月周回飛行)で飛躍し、9号(有人の CSM-LM)で遅れを取り戻し、前回の 10号(有人月着陸の最終的なデモンストレーション)で成功を確信するに至るのである。 アポロ11号は、打ち上げ後しばらくして地球周回軌道に乗っていた。宇宙空間から眺める地球はもちろん素晴らしいが、この段階ではまだ「歴史的な旅」の入口にも到達していない。地球周回軌道に入ってから2時間33分が経過した時点で、管制センターから司令が出る。いよいよ月を目指すのだ。 再点火された S-IVB(サターンV型ロケットの三段目)は、アポロ11号スペース・ビークル(ロケット+宇宙船)をぐんぐん加速しながら高度を上げ、ついに地球の引力圏を離脱する。飛行士たちは、人類が今までに経験したことのない速度(秒速35579フィート=秒速10.845km)で飛行していた(*2)。 月へ後押ししてくれた S-IVB は、LM アダプター・パネルを開いて CSM と LM とのドッキングを促している。この CSM-LM ドッキングは、過去、アポロ9号と10号でのみ行なわれた作業であり経験不足は否めないが、CSM は、管制センターの心配をよそに LM とのドッキングをあっさり成し遂げて月を目指した。S-IVB もこれに同伴する。 ロケットエンジンが停止して推力を失うと、あとは慣性飛行に身を任せるのみとなる。アポロ宇宙船(CSM(CM+SM)+LM)の操縦は MIT(マサチューセッツ工科大学)設計の自動操縦装置が受け持ち、飛行士たちは、さながら 戦場に輸送される途上の一兵士の心境となるが、隕石衝突等の突発的な事故もないとはいえず(*3)、神経を張りつめたままで数日間を過ごすことになる。 小さくなってしまった地球とは逆に、月は、みるみる大きくなってきた。しかし、その冷たい眼差しは飛行士たちを不安にさせている。未知の空間(月の裏側)に向かいつつあることがその不安に更に拍車をかけていた。 このままの速度では月周回軌道に乗ることはできない(月をそれて深宇宙へ飛び出してしまうだろう)。機械船の SPS(Service Propulsion System /メイン・ロケット・エンジン)を使用して減速し、その高度を落とす必要があるのだ。SPS を15秒ほどふかすと高度が落ち始め、宇宙船が月の裏側に入る直前で、月周回軌道に乗ることができた。三回目(*4) の有人孫衛星が誕生した瞬間である。さしあたり、人工惑星のまま宇宙をさまようことはないだろう。当初の周回軌道は楕円になっていたので SPS を使用してほぼ円形の周回軌道に修正する。 LM は定員二名の モジュール である(*5)。 残念ながら、コリンズ飛行士(司令船パイロット)は月面に降りることが出来ない。彼自身の足で月を感じることは今回は見送りだ。月面や、眼下で繰り広げられるイベントを見守るのが彼の仕事となった。CSM に残る飛行士は LM クルーに比べ気楽に思えるが、実はハードワークである。なにより、CSM を守らなければ三人の飛行士は地球に帰還できない。今の彼としては、一人で地球に帰還することにならないよう願うのみである。 アームストロング船長とオルドリン飛行士(月着陸船パイロット)は、LM の状態を綿密にチェックしてからそれに乗り移り、CSM との連結を断った。コリンズ飛行士との再会は(着陸が予定通り行なわれるなら)一日以上先となる。着陸用エンジン(Descend engine)をふかして着陸地点の 「静かの海」 に徐々にアプローチする。この着陸地点は多くの候補地から慎重に選ばれた。クレーター、巨岩、大丘陵、絶壁、傾斜地などは避ける。あえて危険をおかす必要はないからである。 月面からおよそ5万フィートの高度で LM は降下しはじめた (Guidance Switch P63 / Braking Phase Guidance)。アームストロング船長は、右前方の三角窓 (LM Forward Triangular Window) から月面を肉眼でとらえられるよう LM の姿勢を制御しつつ、慎重かつ的確に降下していった。 高度が1万フィートを切って7500フィートになったあたりで LM'sコンピュータ (LGC/LM Guidance Computer) は P63 から最終着陸プログラム P64 (Guidance Switch P64 / Approach Phase Guidance) に自動的に切り替わっていく。 高度2000フィート付近で、突如 目の高さに位置する 「MASTER ALARM」 が点灯し警報が鳴り響く。プログラムアラーム、エラー表示 1202、それは LM'sコンピュータのオーバーロード (Executive Overflow) を意味していた。地球側管制センター (ヒューストン・ミッションコントロール) の判断は 「警報を無視して着陸続行」 であったが、間髪いれずに次の警報がけたたましく鳴り響いた。プログラムアラーム、エラー表示 1201。同じく LM's コンピュータのオーバーロードを意味するこの警報だが、もはやそれは、着陸を中止させる根拠にはなり得なかった。「連続性のエラーでない限り無視して差し支えない」 との判断で着陸は続行されていったのである。 LM の降下・着陸用ロケットエンジン (Decent Engine) の噴射可能残り時間が80秒を切った時点で燃料残量灯がまるで最終決断を促すかのように点灯した。 着陸を続行するか中止するかの最終決断タイムゾーン、いわゆる 「デッド・マンズ・ゾーン (Dead Man's Zone)」 が待ち構えていたのである。 60秒を過ぎて (つまり、噴射可能残り時間が20秒を切って) LM の高度が100フィートを切ってしまったらもう着陸中止は出来ないのだ。 LM やクルーに不具合があろうとなかろうと着陸するしか選択の余地がなくなるのである。「Go!」。すでにデッド・マンズ・ゾーンに突入した LM は当然のごとく着陸を続行していた。度重なるエラー表示の悪夢を払拭するかのように手動操作で安全な着陸地点を探していた。 眼下には不気味なクレーターが大きく口を開けている。「飛び越せ!」。 クレーターを避け平坦なランディングポイントに降下していくと高度は10フィートを切っていた。 月面からおよそ6フィート、着陸用のプローブ (Landing Probe / 4脚のそれぞれのフットパッドに付属する触手のような感知機) が月面に接触してコンタクト・ライトが点灯する。 LM が最終着陸態勢に入ったのだ。 1969年7月20日 午後3時17分40秒 (EST)、着陸用ロケットエンジン (Decent Engine) を停止したアームストロング船長は確かな月面を感じ取った。 世界中の人々が固唾を飲んで見守っていた、人類初の有人月面ソフトランディングを成し遂げた瞬間である。なにより、「大きな穴」 に着陸しなかったことが幸いだった。 LM キャビン内では、LM のチェックや EVA(月面船外活動)の準備が行なわれていた。この段階で LM(特にAscent stage)に重大な不具合が発生すれば、LM クルーたちは地球に帰還できなくなる。しかし、今回はなんとか無事だったようだ。 着陸から数時間が経過して、アームストロング船長が船外に出てくる。このまま月面に降りても「第一歩」を撮影する「もの」はいないはずだが、そこは用意万端ととのっていた。MESA (Modularized Equipment Stowage Assembly /TVカメラ、レンズ、ハンマー、シャベルなどを収容してモジュール化された装備 /LMのラダーの左横=ちょうど脚と脚との中間に備わっている) に搭載されているTVカメラを、船長が「第一歩」に先だって、ライブ放送のために待機させていたのだ。 1969年7月20日 午後9時56分15秒 (EST)、アームストロング船長は LM から月面に降り、ここに、人類の歴史的な 第一歩 を刻んだのである(*6)。 アームストロング船長は、原稿を読み上げるように淡々と第一声を発した。 "That's one small step for (a) man, one giant leap for mankind. しばらくしてオルドリン飛行士も月面に降り立った (→ フラッグセレモニー)。彼は何かを待ち焦がれているようにも見えた。(*8) 彼ら二人が 21.6 時間の月面滞在中に体験したことは、人類にとっての、また彼ら自身にとっての「永遠の語り草」になった。人類を代表する全権特命大使の彼らに私的言動が許さるはずもないが、さりげないカメラアングルに、微妙なイントネーションに、彼らの心の葛藤が出てしまったのも事実なのだ。 人一倍感受性が強くまた信心深かったオルドリン飛行士は、月を「感じる」ことができたのかもしれない。彼のその後の人生が、その時のインパクトの強さを物語っている。 1969年7月21日 午後 4時34分 (EST)、LM は下部コンポーネント(Descend stage)を残したまま 上部(上昇)コンポーネント のみで月面を後にした。 月面に残された 下部コンポーネント には、以下のような文章の記された プラーク(ブローチ)が まるで誰かに語りかけるように存在していた。(*9) (*2) 脱出速度(escape velocity /第二宇宙速度)に達したということ。地表での脱出速度は秒速11.2kmだが、ここは既に地球周回軌道上である(脱出速度は高度によって異なる)。 (*3) アポロ13号 は、この慣性飛行中に(地球から約 300,000km の位置で)、機械船の酸素タンク爆発事故を起こしクライシスに陥っている。 (*4) 最初の有人孫衛星 (地球側からみた場合) は アポロ8号で達成され、アポロ10号 がそれに続いた。 (*5) 船長と月着陸船パイロットの二人が LM クルーとして搭乗する。これに三人乗ってしまったのが アポロ13号(爆発事故を起こした)で、三人の飛行士は最悪の居住空間で生き延びて地球に帰還した。 (*6) ここにいう「第一歩」が意外と難解だ。アームストロング船長はLM(月着陸船)のラダーからフットパッドに「両足」で飛び降りた後、あらためて月面に「片足」で足跡をしるしているからである。この場面を扱ったドキュメンタリー、映画、TV等においてもその描写はまちまちで、フットパッドに「両足」で飛び降りた映像を「第一歩」のようにみせているものもある。ちなみに、「第二歩(第三歩ともいえるが)」のオルドリン飛行士は「両足」で月面に飛び降りている。 (*7) 月面から送信されてきたアームストリング船長の「第一歩」の肉声では確かに「one small step for man」と発音されている。がしかし、もともと船長は「one small step for a man」と言うつもりだったようだ。この不定冠詞のあるなしでフレーズの意味がどう違ってくるのか、興味がつきない。 (*8) バズ・オルドリン月着陸船パイロットは、月面に第一歩をしるす飛行士の人選に疑問を投げかけたことがあった。アポロ以前の有人宇宙飛行では船長は最後まで宇宙船に残り、船外活動等は他の飛行士が行なうのが通例になっていたからである。 (*9) これ以外にも、月面着陸を果たせずに命を落とした旧ソ連のコスモノートやアポロ1号のアストロノート (3人) に捧げるメダルやワッペンを月面に残している。 |
70ミリ ハッセルブラッド カメラ (電動) 司令船 (CM) が携えているカメラ。このカメラの特徴は独自のモータードライブ機構にある。バッテリーはニッカド電池。フィルムの巻き上げやシャッターは電動 (フルオートマチック) である。(70-mm Hasselblad Electric Camera)。 70ミリ ハッセルブラッド カメラ (手動) LM (Lunar Module /月着陸船) が携えているカメラ。超広角撮影が可能。フィルムの巻き上げとシャッターは手動である。(70-mm Hasselblad Lunar Surface Superwide-Angle Cameras)。 70ミリ ハッセルブラッド ELカメラ (電動) LM (Lunar Module /月着陸船) が携えているカメラ。セミオートマチック。60ミリのBiogonレンズ。なお、月面上の EVA (船外活動) で着用する 宇宙服 にもこのカメラがマウントされている。(70-mm Hasselblad EL Data Camera.)。 16ミリ ムービーカメラ (Maurer Data Acquisition Camera) CM (Command Module /司令船) が携えているこのカメラには焦点距離 5ミリ、10ミリ、75ミリのレンズが、LM (Lunar Module /月着陸船) が携えている同カメラには 18ミリの広角レンズが、それぞれ装備されている。重量は 130フィートフィルムのマガジン込みで 2. 8ポンドである。また、そのフレームレートは、1fps(オートマチック)、6fps(オートマチック)、 12fps(オートマチック) 、24fps(セミオートマチック) であり、シャッタースピードは、1/60秒、1/125秒、1/500秒、1/1000秒 である。 The Apollo Lunar Surface Close-up Stereoscopic Camera /ALSCC LM の、MESA (Modular Equipment Storage Assembly) に属する 35ミリ クローズアップ (立体写真) カメラ。カタツムリのような外観が特徴的である。モータードライブ機構はニッカド電池で駆動される。電子フラッシュ装備。 Film このミッションで使用されたフィルムは、16ミリフィルムが 13マガジン、70ミリフィルムが9マガジンであった。 |
Nearly full moon |
アポロ11号宇宙船から撮影されたフルムーン間近の月である。この姿を地球から見ることは出来ない。 黒っぽいエリアが「海」と呼ばれる地域で、晴れの海(Mare Serenitatis)、危機の海(Mare Crisium)、静かの海(Mare Tranquillitatis = Sea of Tranquility)、神酒の海(Mare Nectaris)、豊かの海(Mare Fecunditatis)などが確認できる。 アポロ11号の LM(Lunar Module /月着陸船)は、イメージ左端に位置する「静かの海」にランディングしている。 |
Apollo 11 Lunar Module looking west over Mare Tranquillitatis |
イメージ右中央が、アポロ11号の LM(Lunar Module /月着陸船)から眺めたランディング・サイト「静かの海(Mare Tranquillitatis = Sea of Tranquility)」である。ちらほらとクレーターが散見されるが相対的にみて平坦なサイトである。いくつかの候補地から選ばれただけのことはある。 イメージの右下の大きなクレーターは マスケリン・クレーター(Maskelyne crater /2.2N,30.1E、直径約23km)。アポロ11号の着陸点から およそ210kmの距離にある。 左下の巨大な影の正体はおわかりだろうか? |
This is Command Service Module |
まず、右のイメージを Full size で見ていただきたい 。中央上寄りに数個のクレーターが、最下には明瞭な モルトケ・クレーター(Moltke crater /0.6S,24.2E、直径約6km)が見える。 しかし、矢印の指し示すクレーターだけ何か様子が変である。クレーター内部の影の位置が左側に寄っているのだ。他のクレーターの影の位置とは逆である。世紀の大発見だろうか? 実は、このクレーターのような存在はアポロ11号 CSM(Command Service Module /司令船・機械船)なのである。但し、これで安心した貴方は善人すぎる。このイメージには別の意図が見え隠れしているのだ。安心した貴方は間違った学習をしてしまった可能性がある。 |
Messier /Messier A /Messier B |
右イメージ中央に双子のような(重なっているような)クレーターが確認できる。メシエ A (Messier A、直径は12km程度)である。なんとも奇妙な形をしていて、それが故に、クレーターの成因について論争がおきた。そこから伸びている光条(海を跨ぐほどの長さをもつ)も、このクレーターの生成と何か関係があるのかもしれない。 なお、メシエ A の東側(右側)に位置する細長いクレーターが メシエ(Messier /1.9S,47.6E、直径10km程度の細長いクレーター)であり、その北側(上側)は メシエ B となる。 下のイメージは、メシエ A と メシエのクローズアップだ。 |
IAU (International Astronomical Union) No. 308 crater |
アポロ11号宇宙船から撮影された月の裏側のイメージである。中央やや上寄りの大きなクレーターが IAU No. 308(International Astronomical Union No. 308 /5.5S,179E、直径約80km)。中心部分の地形が独特で、すぐに見分けがつく。この辺りのサイトは ごつごつとした粗野な月の裏側特有の様相を見せる。 |
West Crater |
| Landing sites TOP | Moon Map | Clementine Moon image (Map) | アポロ11号のランディング・サイトは「静かの海(Mare Tranquillitatis = Sea of Tranquility)」のエリアに属す比較的平坦な地域だ。左上のイメージの、中央やや左寄りのクレーターが ウエスト・クレーター(West Crater、直径約180m)で、そこからさらに左へ行った (左端) 矢印の付近に リトル・ウエスト・クレーター(Little West Crater、直径33m、深さ4m)がある。 アポロ11号の飛行士たちは、後に、(ランディング・サイト周辺の)クレーターの名前として、月面に永遠に痕跡を残すことになる。アームストロング(Armstrong /1.4N,25.0E)、オルドリン(Aldrin /1.4N,22.1E)、コリンズ(Collins /1.3N,23.7E)の各クレーターである。 |
アポロ11号の LM 着陸地点から60mほど離れた場所にある リトル・ウエスト・クレーター(Little West Crater、直径33m、深さ4m)である。アームストロング船長は EVA(月面船外活動)でこのクレーターの縁までやって来た。手前左の機器は立体撮影が可能な 35ミリ クローズアップカメラ。 無人月面探査機 ルナ・オービターにマウントされていたカメラの分解能(数メートル程度のものまで識別可能)からして、事前に、ランディング・ポイント付近の地形(クレーターの存在など)は認識できていたはずである 。 しかし、実際には(LM の不具合も手伝って)「着陸寸前にクレーターの存在に気づき慌てて手動で回避した」のである。もしも判断ミスでこのような「穴 (あえてこう書く)」に着陸していたら、かなりまずい状態になったのではないか。
(「暗がりの辺りに何があると思いますか。そもそも、これはクレーターですか?」) |
月面に設置した反射装置に地球側(*A)からレーザービームを照射して地球と月の間の正確な距離を測定する実験である。イメージの装置が月面側の反射装置(Laser Ranging Retroreflector)で、イメージ右端は、35ミリ クローズアップ・カメラ(The Apollo Lunar Surface Close-up Stereoscopic Camera /ALSCC)。アポロ11号、 14号、15号で行われた。 月と地球の平均距離は 384,400km(最大 406,700km、最小 356,400km)であるが、この実験によって月が地球を回るその公転軌道が変動していることを確認した。年間 3.8cmの割合で月は地球から遠ざかっているのである。 この測定実験は、今までの我々の知識(*B)を修正し、なおかつ、アインシュタインの相対性理論の検証にも役立った。 (*A) テキサス州のマクドナルド天文台をメインに、ハワイ、カリフォルニア、フランス、オーストラリア、ドイツの各天文台も参加している。 |
Solar Wind Composition Experiment |
太陽風は磁場を伴った電子や陽子を含む帯電粒子のプラズマ流で、地球の磁場に絶えず影響を与えている。磁気嵐やオーロラの発生は太陽風が原因である場合が多い。彗星の尾が出現するのも同様である。フレア(太陽面爆発)直後の太陽風は尋常ではなく 10,000個/1立方cm の粒子密度で飛び出してくる。 その太陽風を月面上で捕らえる実験が、アポロ11号、12号、14号、15号、16号 各ミッションで行われた。実験装置は 1.4m x 0.3m のアルミ箔のシートをポールに備え付けたもので、太陽の方角に向けられている。このアルミ箔シートを 77分 太陽にさらし、地球に持ち帰って分析する。月面上では、地球上のように磁場や大気層の影響を受けずに太陽風を捉えることができるのである。 アイソトープ(同位体)を分析してみると、ヘリウム-3、ネオン-20、ネオン-21、ネオン-22、アルゴン-36 などの存在が確認された。 |
この実験は、月の地震(以下月震)を記録して、そのデータを地球に送信し、月の内部構造を明らかにするものである。アポロ11号、12号、14号、15号、16号 各ミッションで行われた。なお、11号では、PSE に付随する形で LDD(Lunar Dust Detector)も行なわれている。 人工的な月震を発生させるためにサターンV型ロケットの三段目(S-IVB) と 月着陸船の上部コンポーネント(Ascent stage)を月面に激突させる試みもなされた。 11号では、観測データは三週間しか地球に送信されなかったが※1、この種の実験の最初の試みとして有用だった。この実験から、(1) 月の内部構造が地球と同じように、地殻、マントル、中心核で構成されていること※2、(2) 地殻は厚さが60〜70kmほどあって斜長石を多く含んでいること、(3) マントルは橄欖石や輝石に富んでいること、(4) 中心核は鉄や硫黄で構成されている公算が強く、その半径は450km以下で月の半径(1738km)の25%程度であること(地球の中心核は地球半径の54%ほどある)などが判明(推測も含む)した。 ----- |
Soil Mechanics Investigation |
月面の土壌を力学的にチェックし、それら土壌が人間の活動(動作)に及ぼす影響を調査するものである。月面着陸を行なった全てのアポロ有人月着陸ミッション(11号、12号、14号、15号、16号、17号)で行われた。 ランディング・サイトの月表面の土は微粒子である。着陸時には「巻き上げた微粒子」で辺りが見えなくなった程で、LM のフットパッドは最高20cm(2〜20cm)めりこんだ。また、静電気を帯びた黒っぽい微粒子は実験機材に張り付いて太陽熱を蓄積するので機材を痛める可能性があった。 サンプリング・チューブは 10cm〜20cm位までは容易に打ち込めたが、それ以上となると労力を要する。70cmが最深だが、その時はハンマーで50回程叩く必要があった。 |
月面に積もっている塵の層を研究する実験がアポロ11号、12号、14号、15号で実施された。ただし11号では、LDD は PSE(Passive Seismic Experiment)に付随する実験となっていた。 アポロの有人月着陸以前は、かなりの量の塵が積もり層をなしていたと考えられていたが、実際に測定してみると、塵の層は予想されていた規模を遥かに下まわっていた。 この実験は、どちらかというと放射線や熱による太陽電池の劣化を調査することに主眼が置かれていた。いわば、科学よりも工学に寄与した実験といえる。 |
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